つくば  柏  神田サテライト


Top
ホーム » 社長コラム » 社長コラム » 第1回 最初の人生の転機
LINEで気軽に聞いてみる!

第1回 最初の人生の転機

 「ブリーズガーデン」といえば、エクステリアやお庭の工事会社としてすっかりおなじみになりました。実は、「ブリーズガーデン」の商号は、「ブリーズガーデン BREEZE GARDEN 勝工業株式会社」といいます。
 勝(まさる)工業の名は、亡き父の名前からもらいました。父の存在無くしては、僕の創業はなかったでしょう。

 僕は父が創業した家族経営の住宅設備会社の次男として生まれました。物心がついた頃から、兄が父の事業を継ぎ、僕は独立して起業するのが当たり前と教えられていたように思います。父の兄弟も母の実家も事業を経営していたので、僕自身、それが当然だと思って育ってきました。
 小学校時代に、「将来の夢」なんて作文を書きますよね? 友達が野球選手だ、パイロットだと子どもらしい夢を書いている中で、僕一人が「僕はお父さんのように住宅設備の仕事をします。」って、書いていたことをよく覚えています。

 スポーツが得意だったので、高校にはバレーボールの推薦で入学。ところが、16歳になってすぐにバイクの免許をとると、そちらに夢中になってしまいました。ところが部活でも学校でも、バイクは禁止。高校を中退してしまいました。マシンと一体になって風になる魅力には、逆らえなかったんです。
 実家や親戚の会社でバイトをしながら、高校こそ通信教育で卒業しましたが、なかなか仕事が長続きしません。情けない話ですが、親の甘いスネをかじっている状態でした。

 それでも、いろいろな土木工事や解体工事の仕事を経験しているうちに、某ハウスビルダーの監督より「うちの住宅の基礎工事をやらないか?」と声をかけていただきました。正直、道路工事や解体工事などの土木工事は色々と経験を積んでいましたが、同じ土木工事とはいえ細かく分けると全く違う業種のコンクリート工事にはあまり経験がありませんでした。が、僕にはできる!!という今思うとなんの根拠もない自信で満ち溢れていました。
 本腰を入れ始めて半年。父の病が発覚しました。病名は胸膜がん。48歳と若かったため進行が早く、余命半年という診断でした。

 元気だった頃、父は酒を飲むと、よくこんな風に語っていました。「オレは23歳で独立したんだ。でも、そんなに早く独立しても苦労が多いものだよ。35、36歳くらいがちょうどいいんじゃないか」。そのとき僕は、22歳。幼い頃からぼんやりとは思い描いていた「独立」という言葉が、初めて身に迫って来ました。

「オレもあと半年で仕事を覚えて、独立しよう!」



 それからは人が変わったように働き、仕事を学びました。個人事業主として独立する前に父は亡くなりましたが、翌年設立した会社に父の名をもらい、新しい形で父が生き続けているように感じています。一人で創業し、亡くなる頃には十数人の従業員を抱えるまでに成長していた父のことを、経営者として尊敬しているんです。
2019-03-10
 
 その一方で、事業を継ぐ兄と、末っ子の妹に挟まれた次男として、もっと父に関心を持ってもらいたいという思いもありました。子どもの頃から、学校が休みの日には父の仕事についていき、子どもにもできるような手伝いを一所懸命やりながら、父の仕事ぶりを間近で見ていました。僕が物作りを好きになったのも、その経験が大きかったでしょう。もしかしたら、そんな父への憧れの気持ちも、「勝工業」の名には含まれているのかもしれません。


 当時のことを思い出して、少し感傷的になってしまったかもしれませんね。次回は気分を変えて、創業してから必死の思いで会社を軌道に乗せた話をしたいと思います。




ホーム » 社長コラム » 社長コラム » 第1回 最初の人生の転機